イタリアが私を呼んでいるのか、私がイタリアを求めているのか
ちょっと前のことですが
無意識にイタリア産ばかり手にとってしまう事案がありました。
もしかして、前世はイタリア人だったのかな?
なんて言いたくなってしまう(笑
ヘタリアちゃんは大好きでしたボーノトマトボーノトマト!🍅
その後、イタリア人の考え方の本を読んでみて
よりイタリア好きだな~ってなりました。
人生の謳歌の仕方を心得てるというか。
それでいいんだ!?って思わず言いたくなります。
イタリア人の感覚
- 遊ぶために全力で仕事を終らせる(10時間ですることを5時間で)
- いい気分で仕事をする。笑顔で仕事するのが当たり前
- できないじゃなくて、出来る方法を探す。
- 理想にこだわりすぎて、不満を抱くより、毎日を愛する
- 優秀というのは効率よく楽にできる方法を探せるがどうか
- 自分の感情を隠す?そんなのかっこ悪いよ
- 女性を褒めないのは失礼だ!
- 3万で30万と同じように楽しむ!
- 今日、なんとかなるなら、明日もなんとかなるよー!
- 時刻表はない。遅刻なんて当たり前!
- 落ち込んだら、シエスタすればたいてい大丈夫!
という感覚で、ああこういうふうに生きれば
確かに人って幸せになっちゃうよー
自分の直感を信じて、ゆるーく楽しむコツをよく知っている。
とっても自然体で、ユーモラス!
イタリアに生まれてたら、また違った人生だったのかも。
しかし、日本に生まれちゃいましたからね!
日本も日本で良いところがあるから、
あの自然体を生きる感覚は忘れないよう
生きていきたいな
この記事書くときに、よく最近お喋りするつまこ。
こと、つまっちゃんにイタリア語で呼び名にされていたのが
このときのこと思い出したキッカケ。ピソピソ呼ばれてるよ
PiSOLiNOってお店なんだかありそうだね
ゆっくりしてる時間って表現が好きだな~
まったりゆっくり。そういう感覚って心ふわっとなるから
自然体に生きるからこそ、磨かれる感性みたいなものを
イタリア産のアートな作品や商品を見ても感じるし
くーーー!本当、旦那と一緒に半年ぐらい滞在してみたい!
改めて思う今日なのでありました。
おまけ
この人に影響されたところは強いかもしれない